2014年12月30日火曜日

書評 池内了『宇宙論と神』(集英社文庫)

科学と神は容易に共存する。


 有史以前から現代までの天文学の歴史をたどると、天文学が物理学に近づいていく様子がよく分かる。そして神は、居場所こそ変えたものの、現在も確かに存在するのだ。

 有史以前、「世界」とは自らの目の届く範囲、せいぜい市町村レベルだっただろう。この時代、神はとても身近な存在だったに違いない。その後、文明の発達により「世界」が広がっていったが
「この『世界』はどのようにして作られたのだろうか」
という問いは人類に共通の疑問だったに違いない。各文明に天地創造の神話があるのは当然だろう。
 文明がさらに発展し、世界がどんどん広がっていくにつれ、神も居場所を変えていく。自分たちの国を作った存在、そして地球を作った存在として、人間からは遠ざかっていった。
 その後、望遠鏡が発明されて地球は惑星の一つに過ぎないことが分かり、さらに太陽も夜空にきらめく星々と同じものだということが明らかになった。神は地球や太陽系を作ったわけではないらしい。しかし「やっぱ、神っていなかったのんで」という話にはならない。
「それなら、宇宙を作ったのは誰なの?」
というところまで神は遠ざかるだけの話だ。

 神が宇宙まで後退(?)したところで、天文学は物理学と交わりはじめた。宇宙の根源は物質とエネルギーの根源であり、それは物理学の領域なのだ。そしてついに、宇宙はビッグバンによって生まれたという説が確立したが、神は姿を消さなかった。
「神がビッグバンを起こしたのだ」
という訳である。
 さらに現代では、宇宙は一つではなく、無数にあるという説が有力らしい。ビッグバンすら、特別な現象ではなかったというのだ。しかしその現代でも、もちろん神は生きている。
「無数の宇宙が生成される仕組みを作ったのが神である」
のだ。

 こんな、宇宙論と神との関係、天文学の歴史と物理学の関係を分かりやすく伝えてくれるのが本書である。科学啓蒙書の書き手の第一人者とも言える、池内氏の面目躍如の一冊である。
 近頃、村山氏や大栗氏をはじめ、宇宙の謎を平易に解き明かす若い書き手がどんどん出てきている。しかし、有史以前からの歴史を追うという大局観に立ち、科学に対する神の立ち位置を分かりやすく示せるのは、ベテランのなせる業だろう。さすが池内氏。




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