2015年7月1日水曜日

映画評『ブレードランナー』

感情をもったロボットは、人間と同じに扱うべきなのか


 1982年公開のSF映画の名作。21世紀、人間はついに高性能アンドロイドの作成に成功した。しかし、その性能が向上するあまり、ついには感情をもつようになってしまう。人間と、感情をもったロボット。この対比が本作の主題である。

 ロボットが感情をもってしまったらやっかいだ。感情をもてば、いろいろな欲望も出てきてしまう。楽しくやりたい、何かを成し遂げたい、美味しいものを食べたい、恋をしたい、そして「死にたくない」。
 感情をもつアンドロイドに人権(ロボット権)はあるのか。それともアンドロイドは人間の作り出したものだから、そんな感情は無視して、奴隷として扱ってよいのか。そういう問いが投げかけられてくる。たとえばあなたが古くなった扇風機を捨てようとしたとき
「まだ死にたくないよう…」
と扇風機が語りかけてきたらどうするだろうか。30数年前はSFの世界でしかなかった問いだが、近い将来には現実問題となるのかもしれない。

 私はこう思う。
「感情をもっているからといって、人間と同じに扱う必要はない。しかし、感情をもっていないからといって、邪険に扱っていいわけではない」
 私は「感情」を特別扱いすべきではないと思うのだ。感情も、つまるところ生物の反応にすぎない。それをもっているから特別な生き物なのだという考えは「感情的」だと思う。




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